2008/02/12

とある大学院の院試にて

現在僕は,某大学大学院情報学研究科という所に所属しています.修士2年です.来年からは博士課程に進学する予定で,今はその受験期間にあたります.ちなみに僕の進学状況は少し特殊で,普通なら同じ研究科の同じ研究室に進むところなんですが,同じ大学の経済学研究科を併願していて,そちらが第1志望です.今日は単純な進学(つまりは第2志望)の院試がありました(ちなみに,どちらも公式には合格が決まっていません.だから僕はまだ進路未定です).

情報学研究科の中でも僕が所属している専攻は,数理的な手法を用いて現実問題を扱おうという大雑把な目的を掲げた研究グループです.一般的には,応用数学,数理工学,数理物理学と呼ばれる分野に分類されます.そこで働く先生方は,要するに,厳粛な態度で数学を扱う人々の集まりなわけです.

さて,今日はそんな偉い先生方を前に,僕は稚拙な修士論文を発表しなければいけなかったわけです.しかも,経済学研究科の受験のために,経済学的なニュアンスをこめて書いた修士論文を発表しなければいけなかった.これがもう大変.

何が問題かって,僕が経済学も数学もきちんと理解していないもんだから,数学者の観点で「そんなものに何の意味があるんだ」とすごまれたら,答えようがない.「経済学とはこういうもんです」というほどに経済学を知っているわけでもないし,かといって数学的な批判に耐えられるほどに洗練したモデルを作ったわけでもないんだし...

ボコボコにされた今回の面接ですが,学問に対する態度として,深く考えさせられる結果と相成りました.第2志望ながら,いい勉強をさせていただきました.ほんとの話.

一番印象に残ったのは,数学や物理学はものの「コトワリ」を究明するものだ.そう先生はおっしゃった.たしかにそうだ.でもよくわからない.分かるようで分からない.だから,こんな遅い時間に悶々としなければならなくなってしまったんです.

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以下,ただの茶飲み話です
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まずAを仮定する.Bが導かれる.だからBだ.これが,数学や物理学だろうか.じゃあ,経済学はどうなのか.

ところで,Aを仮定することの根拠をどこに求めるんだろう.Bが理なのか,Aが理なのか.僕はAが理のように思える.Bはただの結果だ.本質じゃない.

たしか,仮定に依拠しない理論が存在しないことはどっかの誰かが証明している.だからAは認めるしかない,Bが理だ.それが数学だろうか.

物理はちょっと違うかな,Aの妥当性は観察可能な含意によって検証できる.だから,Aが理か.もちろんそれは経験則という形をとらざるをえない(ニュートンの運動方程式は誰にも証明できない.変分原理を用いれば「証明」できるかもしれないが,あらゆる運動がある汎関数を最小化するようにできているという証明不可能な問題が新たに生まれる).何らかの方法でAが正しかろうと判断されれば,同じAによってCが導かれたらCの正しさは証明されたといえる.逆にいえば,経験則という裏ワザが認められている分,数学よりも柔軟だな.つまりそこには思想の取り入る隙がある.

そうなると.何が真理なのかまたよく分からなくなる.でもこれ以上は望めない.だから経済学もこの筋でいくべきだろう.

経済学の難しさはどこにある.実験ができないんだ.だから,簡単なモデルを使ってAの妥当性を推測するしかない.極度の単純化により,棄却できない仮説がいくらでも生まれる.同じ現象を説明するいくつものモデルがある.それじゃあ物の理なんてものはいつまでたっても分からないじゃないか.

そこで僕は暗礁に乗り上げる.

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