個人的には,大学院レベルでの教育は優秀な研究者でなければ実施できませんが,学部レベルでの教育はそうでもないと考えています.教育を専門に行う教員がもっといてもいいと思う.優秀な研究者が,研究者を目指さない学部学生の教育に膨大な労力を吸い取られるのは国にとっていい影響がないと思うし,よい研究者(ここで,「よい」と変えたのは,非常に優れた研究者はまた非常に優れた教育者であるというのは正しいと考えるからです.逆はもちろん成り立たないと信じる)が必ずしも優れた教育者ではないというのも残念ながら事実である.しかしそれでは,若い研究者の芽を摘むことになりかねないというご指摘もあるかもしれないが,本当に研究者になりたいと思う学生は,学部時代から自主的に高度な大学院の授業に参加するはずだから,問題ない.そういう仕組みなら簡単に作れる.
下の本で述べられているように,国立大学法人をいくつかの種類に分けて,大学院における研究を重視する大学と学部における教養教育を重視する大学との線引きを明確にするというのも一つの手だろう.前者では6年一貫のマスターコースプログラムを行い,後者では○○学部という名前に拘泥しない4年間のバチェラーコースを採用すればいい.長期的な視点で将来設計をすることができなくなってしまった今の若者(情けない話ですが)にとって利益になるかどうかはわかりませんが,そうすることで,現状のような中途半端な教養課程の授業は減るはずだ.前者の教育機関では早い段階から専門課程に必要な基礎知識を教えることが正当化されるし,後者では学問が一般社会にどのように役に立つかといった現実的な問題をしっかり教えることができるのではないか.
とにかく,日本の大学教育プログラムは本当におかしい.それはこの本を読まなくても分かる.でも,読んだらもっとよく分かる.根は深い.
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